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編集発行人 ● 竹島 茂 |
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このとき速記をとったのが縁になって、その後20年以上、私は中央公論社の速記を担当できることになった。梶山が無理やり私をひっぱり出してくれたおかげである。そういう形でいつでも仲間の面倒を見るのが梶山という男だった。 |
もう少し具体的に書き直してみると、実は、その行事が終わって原稿にまとめ、梶山からの指示に従って原稿を中央公論社に届けた。そこで、「どれどれ……」という感じで応対に出てきたのが、後に中央公論社の幹部になる笹原金次郎氏であった。
顔を見合わせて二人は愕然とした。愕然が大げさだとすれば、では、一体、何と表現すべきであったろう。なんと、二人は学生時代、何回も顔を合わせて……というどころか、彼は早稲田大学で、僕は東大にいて、その他多くの大学の文学サークルをつなぐ横の組織、学文協という団体を作って交流していた間柄だったのである。法政には、後に日本近代文学館を立ち上げることになった小田切進がいた。
一瞬の驚愕というか、動揺の後、思わず二人は手を握った。「あなたでしたか!」という台詞がまず笹原氏の側から出た。多分、社長から話しを聞かされて、変わったやつもいるものだ、と想像していたのであろう。その後数年して、私が、『舞台裏の現代史』と題して、速記の歴史を一冊の新書本にまとめた際、率先して出版記念会を準備してくれた彼が、挨拶文の中で語っている。
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いつか私は堕落してしまいまして、竹島さんはコツコツと、 (ひとに)おしゃべりをさせ、 (みずからは)おしゃべりをしない職業につかれ、この道を選んだことは、ご自分の純粋性を守っているんじゃないかと思って、私は、再会したのが30年ごろでございますが、ひそかに恐れておりました。 ところが、10年近くつき合いますと、やはり彼の中に生きているものがあるので、これをぜひお書きなさいということを、会うごとにおすすめしました。飲んだときもおすすめしました。 とうとう書いてくれましたのが、去年の『中央公論』の12月号でございます。私の最後の号でございましたけれども、ほんとうに私としては記念になってありがたいことだと思っております。云々 |
この会合では、出版記念会での皆さんのご挨拶を速記にとって、お帰りに皆さんにお配りするという趣向をこらしていたのである。言うは易く行うは難しの最先端を行くような企画を提案したのも、実は、私自身であった。このような行事が実は、速記が発祥して間もない明治年間にも行われたことがあったことを私が知っていたからである。
この笹原氏が、その後『婦人公論』の編集長となり、連載対談のホストとして團伊玖磨氏を起用した。企画を担当したのは若い女性編集者であったが、「普通の対談じゃおもしろくない。何か変わった手法で」としきりに主張したらしい團氏の要請に応じて、移動対談を企画して僕に速記を依頼してきたのである。「泳ぎながらでもできる」などと勝手に吹聴してホスト役の團さんを喜ばせたらしい笹原さんにそそのかされて、私は、面食らいながらも、ある程度の覚悟はしてその場に臨んだ。事実、褌持参で出向き、一緒にプールに入りもした。しかし、実際にプールの中で対談を実行し速記することなど、できるはずがない。そういうことをやったということにして、とにかく対談記事だけは拵えることができたのである。そうして、それを第一回として一年間の連載が終わった。
すると、早速、真似する雑誌が登場した。池坊の関係の雑誌だったが、やはりホストを團さんに依頼して、次々と相手をとりかえて対談させるという企画である。要するに、この企画の面白さ、ユニークさにすっかりのめり込んでしまった團さんに乗せられて、次から次へと似たような企画を練りはじめたのである。しかし、この池の坊の企画は一年と持たずに中断してしまった。何が原因だったのかは知らない。そうして、しばらくは、この種の仕事が遠のいた。
さらに時間を置いて、この手法で團さんを聞き役に取り込んだのが『週刊読売』である。この企画は結構長く続いた。週刊誌である以上、原稿の提出を急がれる。しかも、團さんには、海外出張を含めて東京から離れておられる機会が極めて多い。多くは、團さんに録音テープを預けて現地録音してきていただき、そのテープを聞きながら、状況描写なども私が書き込むという手法を用いた。そこまでして臨場感豊かな原稿を提供することを、團さんご自身はもちろん雑誌編集部も強く希望されていたのである。
そのころから、私は、もはや速記者というよりも、速記兼リライトを行う……というよりも、それができる速記者として活躍の場を与えられるようになった。
一方で、ワープロが登場し、録音機とワープロとを上手に結合して使用することによって、速記術を知らない者でも、速記録に類するものが簡単にできるようになったという主張が現れた。私自身は、万年筆や鉛筆を用いて一字一字翻訳しなければならない手作業による苦痛から免れるために、カナタイプや、新聞社がかなり以前から採用していた漢字テレタイプのテストを行い、なんとか、筆記用具の使用による筋肉痛の辛さから解放されたいと願っていた。速記不要論と戦うためには、なんとかして速記録作成にかかる重労働からの解放を実現しなければならないと痛感、必死でその道を探り続けた。しかし、最後に選んだのは、やはりワープロによる翻訳への移行であった。当時80歳に垂んとしていた大阪市在住の瀬戸豊氏なども、同じ趣旨で速記→ワープロによる能率的改善への道を選んでいた。東京在住、当時70代だった川崎(正しくは右上の「大」が「立」になっている字)明さんもやはりワープロ礼賛論を残している。
私が、いよいよ東京での速記者生活に見切りをつけて茨城県に移転を決意したのが昭和57年である。身に迫る将来への不安から逃れる道は、たった一つ、今ある平安を打ち破ることしか考えられなかった。まさにイチかバチか。いずれにしても、このまま東京に在住し、従来どおりの顧客を頼って速記者として生活を続けていくのは無理だろうとの結論に達したのである。
その決心がどうしてできたのか、いまだに深く突き詰めて考えてみたことはないが、やはり、結果から逆にでも、追求しておくべき大切なテーマであろう。次の機会に詳しく述べてみたいと思う。
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第49回 『東日本大震災・土浦市内のつめ跡&追悼の桜巡り』
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3/11 14:46から15:00頃土浦税務署にて体感する
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液状化の沈下
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真鍋の旧家の瓦屋根も崩落
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停電でスーパーも閉店
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保育所の子供達も外に避難
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NHKのニュース画面
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地盤沈下
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まちかど蔵・大徳の蔵の瓦や、石灯篭も崩壊
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亀城公園東櫓の壁も崩落
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節電と買占め防止のお願い
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水や電池、食料品買占め防止のお願い
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GSにも長蛇の列
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JR土浦駅のお知せと節電のエスカレータ規制
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壁の崩落
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義援金協力のお願い
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さあ頑張ろう。
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まず、この度の東日本大震災に被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。2011年3月11日午後2:46頃、宮城県沖合で史上最強のM9.0の巨大地震が発生した。土浦市内でも、震度6強の立っていられない程の大揺れを感じました。私は、土浦税務署で確定申告中でした。『皆さんテーブルの下に隠れて下さい』と指示があり、数分間の恐怖に耐えていた。約100名位いたでしょうか。思わず私は持参中のデジカメで撮影したのが、ピンボケの1枚目の写真です。
1回目の大揺れ後に、直ぐに全員外に退室されて、又、大きな余震を2、3回体験した。携帯の地震速報で一大事が起きた事を知った。まもなく停電になり、近隣のスーパーもコンビ二も閉店になった。自宅に帰宅すると、建物は大丈夫でしたが、居間は足の踏み場もない状況でした。停電も夜11時頃まで続き、その日は友人宅にラジオ持参で、お世話になりました。
地域により、停電や水道の断水、都市ガスの復旧は、様々でしたが、ガソリンスタンドには、長蛇の列。又、スーパーも食材の品不足、乾電池や水も売り切れ状態でした。被災地の茨城県は、計画停電の除外とはなったものの、現在も節電モードが様々な施設で行われています。駅や大型店のエスカレータやエレベータも限定台数の運転ですね。常磐線の土浦・上野間の復旧は早目でしたが、まだまだ東北方面は大変ですね。常磐道も同様。
市内の旧家の屋根瓦やブロック塀、壁、墓石の崩落が目立ちました。道路や歩道の陥没、霞ヶ浦周辺の地盤の液状化による、建物の傾斜も。又、福島の原発の事故による被難者等も、土浦やつくば市内の公共施設に多数来られていました。ボランティアの方々のお世話には、頭が下がります。一刻も早く、この大災害の復旧と、被災された皆様のご健康と勇気と、明日への希望を持ち続けられますよう、心より祈念致しております。昨日は被災されて、亡くなられた1万7千人以上の方々の四十九日法要が多数の寺院で、執り行われたそうですね。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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《季節の風景》
『追悼の桜巡り……モノクロの桜編』
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本土寺五重塔と桜
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土浦一高の枝垂れ桜
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石下の豊田城
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乙戸沼公園にて
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福岡堰桜並木
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真鍋小のお花見集会
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牛久の友人宅の枝垂れ桜
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真鍋小の百年桜
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桜川市岩瀬町磯部の山桜
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牛久シャトーの桜
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龍ヶ崎・般若院の枝垂れ桜
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科学万博記念公園のお花見
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北条の大池の桜と筑波山
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石岡市常陸風土記の丘の枝垂れ桜
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同所の大獅子頭と桜
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土浦一高の桜と私
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富谷観音からの筑波山と桜
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柏市のSL公園のD51と桜
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この大震災で多数の不慮の死者や、被災されました方々の慰問の気持ちを、毎年美しく咲き誇る日本の桜が、励ましと明日への希望となれば幸いです。あえてモノクロ写真で今年の桜づくしとさせて頂きます。磯部の山桜のみカラーで、ご堪能下さい。尊い御霊に合掌。2011年の同期の桜かな?
2011/4/29
青木功さんの写真展&交流会が過日行われました。
新刊案内
筆者の山口清さんは小美玉市(旧玉里村)在住の、茨城県内でも著名なお百姓さんでした。一昨年亡くなられる直前に、ご自分の書き残した短歌を是非、本にしてほしいとの遺言を残されました。生前に出版された二冊の歌集に続く作品群がこうして残されることになりました。
故人の遺言によって、その歌集の出版は、私に託されました。もと、玉里村の教育長であった池上氏らがあらかじめお選びになられた膨大な数の短歌作品が私の手元に届き、一首一首、胸を躍らされるような思いで目を通し、校正に当たりました。
一人の農民として、一人の日本人として、胸を張って87歳に到るまで堂々と生きてこられたお姿に、何度、涙したかわかりません。是非、ひとりでも多くの方々に、読んでいただきたいと願っております。
ご注文はメールでどうぞ。定価は、2500円(消費税別)です。
再版案内
『始末できるか原発の放射能』
22年前に出版された『始末できるか原発の放射能』の再版が出ます。現在は、当時の筆者が細かいチェックをしているところです。もうしばらくお待ち下さい。改訂版の発売は6月末の予定です。
ご予約は、株式会社ステップ(電話:029-858-0376、ファックス:029-855-6280、メール:step-takeshima@snow.ocn.ne.jp)までどうぞ。予価は1,050円(税込)です。
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● 旧版(1989年11月発行)に以下のような誤植・誤記がありました。お詫びして訂正いたします。
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