
7月18日(日曜日)の正午から、つくば市内のホテルを会場に、「河本哲三さんを偲ぶ会」が開催されました。炎天下、西は九州・福岡、北は東北・仙台から 100名に近い友人・知人が集まり、故人への追悼の思いを語り合いました。
河本哲三さんは、みずから研究者でも学者でもなく、一人の公務員として筑波研究学園都市への研究者の移転に関わり、その事業を成功裏に導いた存在でした。その後、研究学園都市つくばに出来た(株)筑波研究コンソーシアムの常務理事・専務理事として、つくば市に集積された研究所群の活性化のために働き、続いては、ロレアルつくばセンターの所長としてフランスの化粧品会社ロレアルのために数々のユニークな事業を展開して行きます。最後は、東京にできたロレアルアーツアンドサイエンスファンデーションの責任者として、数多くの才能ある研究者・芸術家を発掘、表彰した上で引退。のびのびと余生を送ろうと考えていた矢先に、今度は、世界の研究学園都市連合のような組織のコーディネーターとして乞われ、新しい事業に力を注ぎ始めます。
その前後から直腸癌を病んでいた河本氏は、道半ばにして肺癌のため、本年1月11日、遂に帰らぬ人となられたのです。83歳の誕生日を目前にしてのご逝去でした。
江戸時代から続いた商家の出で、ご葬儀は出身地の山口県で行われ、墓所も山口県にできたと承っています。
ことし30周年を迎える「つくばマラソン」を提唱したのも河本氏であったという話で、午前の部では、そのつくばマラソンに関わった早稲田大学教授(もと建築研究所)の長谷見さんから、河本さんとの関わりが面白、おかしく語られました。
長谷見氏は、3回目までのポスターは自分が書いたと述べ、また、第1回目には走るほうにも参加したのだそうです。そう言えば、自分の描いたポスターが見つからないといって、会の始まる直前まで大騒ぎをしておられました。たまたま開催日がアインシュタインの誕生日だったとのことから、おもしろがってアインシュタインマラソンと命名してスタートしたのだともおっしゃった上で、肝心のその誕生日が、後になって一日違いであったことがわかって大笑いになったというオマケつきのお話でした。
一時は、「ミスター筑波」とまで呼称されていた河本さんでしたが、死後半年近く経つのに、新聞各紙に報道されることも一切なく、葬儀はひっそりと山口県のお宅で行われ、追悼会も穏やかに行われて、皆さん、静かに帰って行かれました。
役人でありながら、全く役人らしくなかった河本さんの逸話が十人近い参会者から次々と語られ、会場には温かい笑い声さえ広がっていました。科技庁の役人から、つくば市にできた筑波研究コンソーシアムの常務理事、専務理事を12年、ついで、ロレアルつくばセンターの所長を経て、後に東京に設立されるロレアルアートアンドサイエンスファンデーションの主宰者として10年、自由奔放に活躍した河本さんの業績が、いつか集大成されることがあるのかどうか。編著書としては1冊、私がお手伝いして制作した『明日の筑波』(株式会社STEP発行)があるばかりです。あちこちにお書きになった数知れない散文の集大成のようなものができるときが、果たして来るのかどうか。これまた、大いに気にかかるところです。
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