ここのところ、また本を1冊書きたいと思い、何人かの編集者と会ったりして「売り込み」をやっていた。
そんな時、今までもしょっちゅう感じ続けていたことではあるが、私のファッションという概念がなかなか相手に伝わらない。
ファッションというと誰もが(特に編集者なんて人々は)、抜きがたいイメージや思いこみや先入観を持っていたりする。
かっこよくて、きれいで、最新流行で、あるいはリッチで一流でブランドでetcetc……要するに、「自分とはあまり関係のないもの」。
で、私は一生懸命言う。
「ファッションって、人が服を着ることよ。
老いも若きも男も女も、誰もが食べなければ生きていけないように、着なければ生きていけない。裸で暮らせる人はいないんだから。
それが、私がファッションと定義すること。
ファッションって、そういう日々の雑事。あるいは楽しみ。誰でも出来る自己表現。
だって、これだけたくさん服があるなかから、なぜその服を着ることを選択したの?
そのこだわり、事情、理由……それが一人一人全部違うわけで、そこにその人の様々な事情や環境や人間関係が、あるいは在り方や生き様が全部透けて溶け込んでいる。当人が意識しようとしまいと、それは「見える」わけ。
それがファッションのおもしろさ。そこに、着る楽しさも、人間のこだわりや可愛さも、社会的な状況も、秘かな夢もある!」
たくさんの言葉と時間と描いた絵なども使い、私は「私のファッション」を説明する。
どうにも、「私のファッション」は伝わりにくい。
そういえば、「ファッションのトラブルメーカー」とか、「あんたのファッションは反体制的すぎて、決してビッグネームにはなれない」とか、言われたこともある。
「ファッションってなんだろう?」「人が服を着ることの本質って、なんだろう?」、最近またさかんにそんなことを考えていたので、今回は私のファッションの履歴書を書いてみた。
たぶん読者にも、決して無縁なテーマではないだろう。
●──女性週刊誌
その昔、私もファッションとはカッコイイきれいな新しいもの……と思い込んでいた。
ファッションはパリやミラノのコレクションであり、エルやボーグ(フランスのファッション雑誌)の最新号だと思いながら、スタイリストになった。
スタイリストというのは、撮影のためにステキな衣装を調達してくる仕事だと思われているが、これは誤解だ。
ステキな衣装を集めるのでなく、その撮影のテーマにドンビシャな衣装を集める仕事なわけで……いつもファッショナブルな衣装が要求されるわけではない。
「この新商品のパッケージの、ここの色の服」とか「このタレントの、いかにもどこにでもいるお姉ちゃんって感じ(そんなのファショナブルなわけないだろ!)を絶対はずさない服!」とか、そういうたくさんの細かい指定の元で服を集めることが多い。
エルとボーグが好きな私には、けっこう欲求不満を抱える仕事でもあった。
そうやってコマーシャルや雑誌の仕事をしているうちに、ある女性週刊誌のデスクに「君はスタイリストよりも記者に向いてるね。記者になりなさい!」と、専属の記者になることを勧められた。
「えーっ、女性週刊誌なんてヤダー」とか思いながらも、つい記者になってしまった。
「黄色、黄色!」だの「もうちょっと野暮っためのヤツ!」とかやってるスタイリストより、企画考えたり原稿書いたりする記者のほうがおもしろそうだったので。
そしてその「女性自身」という職場で、私はファッション記者という仕事の基礎を、全て教わった。
週刊誌であるから、ファッションとはいえかなりニュース性が強かった。
パリコレの最新情報から街の流行りモノまで常にアンテナを張りめぐらせ、「これは!」と思うと速攻で記事にする、そんな感性とフットワークが要求された。
そしてこの職場で、私は「街を見ろ! 人を見ろ! 企画は机の上でなく街にある!」ということを、骨の髄までたたき込まれた。
それはたぶん、ドキュメンタリーという感性と発想だったろう。
パリコレの最新情報やファッションショーをチェックしながらも、それでもいつも必ず街を見ていた。
私がファッションの基礎を作ったのは、銀行や美容院やラーメン屋にある、「暇つぶし」で「芸能界」で「くだらないの代名詞」の、女性週刊誌だった。
しかし、それはまた妙なアナーキーさと、いい意味での猥雑さと、ニュース性を併せ持つ不思議な媒体でもあった。
私は自分のファッションの基礎を作ったのが、モード雑誌でも女性誌でもなく女性週刊誌だったことを、今では本当にラッキーなことだったと思っている。
●──迷走時代
基礎を作ったのは女性週刊誌だったが、その後私のファッションはフラフラと迷走を始める。
子供を持って母子家庭になると、週刊誌の仕事のローテーションが辛くなった。
そうでなくとも、ファッションという仕事は基本的にスタイリストやカメラやモデルとのグループワークで、他人と時間を合わせないと成り立たない。時間的にも、深夜の衣装会わせは日常だし、夜の打ち合わせも泊まりのロケもある。
子育ての為に、週刊誌からコマーシャルや雑誌に仕事場をシフトしていきながら、私は基本的に個人プレーで出来る書く仕事を増やしていった。ライターをしながら、時間的に無理のないファッションの仕事を続けた。
そして、この時期に私は、かなりはっきりと「ファッションはパリコレでもエルでもボーグでもない」という思いに、行き当たる。
保育園のお迎えの時間にギリギリまで仕事して、駅から全力疾走しながら……明け方まで明日〆切の原稿を書いて、朝寝ぼけ頭で子供を保育園に連れて行きながら……あるいは、小学校のPTAで黙りこくった母親たち前に、居丈だかな教師にたてつきながら……生活の中の実感として、はっきりと私は「ケッ!なーにがパリコレよ、フザケんじゃないわよ!」と、思うようになった。
生活にまみれて疲れている私には、実際エルもパリコレもまったく似合わないものになっていた。
私には、ファッションは手からスルリとすり抜けて逃げてしまった、きれいな風船のように思えた。
この時期、私はもう完全にファッションが見えなかったし、考えるのも辛かった。プッツリと、パリコレ速報もエルもボーグも見なくなった。
そして、それでもまた夜中になると「ジャケット¥35000ブランドなんとか(○○商会)」などと、黙々ととファッション原稿を書いた。ファッションが見えなくたって……仕事は出来るから。
そして、見えなくなったファッションのことをぽんやりと考えながら、街を見ていた。
●──街を見て考えた
私がまた本気でファッションを探し始めたのは、自分の本を書き、書名原稿を書くチャンスに出会えたからだ。(書く仕事のほとんどが匿名性なの知ってた? 記者もコピーライターもインタビューアーも、基本的に匿名の仕事なの)
自分の言葉で語るには、どうしても自分のファッションを探さねばならない。
私はとにかく街を見た。それしか、ファッションを探す方法を思いつかなかった。
それまで見ていた原宿や渋谷や青山といった若い街だけでなく、浅草や築地や巣鴨などにも出かけていって、街を見た。人を見た。
魚市場で働く男たちを見た。工事現場で鳶職の兄さん達を見た。酉の市で働くいなせなオヤジさん達を見た。仲見世で働くオバちゃんを見た。大手町のサラリーマンも見た。巣鴨の刺抜き地蔵にお婆さん達を見に通った。
彼らの服を、働いている様を、人が生活する姿を……一生懸命観察した。
そして、ファッションを探して必死で街を見てるうちに、私はほどなく気がついた。
肉体労働を働く男たちの実用に徹した無駄の無い装いは、なんとシンプルで美しいのだろう。いかにも生活にピシリと合った仲見世のオバちゃんの、襟元のスカーフの色使いはなんと粋だろう。媚びも見栄も捨てた巣鴨のお婆さん達の、実用本位のコーディネートは、なんと自由で個性的で楽しいんだろう。
ファッションに一番遠いところにいると思ってた人たちの中に、「着ることの楽しさや美しさ」が、確かに豊かに息づいているじゃないか!
なーんだ、ファッションってこういうことなんだ!
ファッションって、人が服を着ながら生きている姿のことだったんだ!
目から鱗が落ちる思いだった。
そういう眼でファッションをとらえ直すと、築地や巣鴨でなくとも商店街にも電車の中にも、人が居るところにはどこでもファッションがあった。
5人居れば5つの、10人いれば10の、100人居れば100のファッションがあった。
スルリと手から逃げていった風船が、空いっぱいの仲間を連れて確かな手応えで、私の手の中に帰ってきたように思えた。
それは……嬉しかったなあ。
●──ファッションの眼
私のファッションという眼のレンズがピシッとクリアーになってくると、今度は「このファッションで、どこまで広く遠く見えるだろう」という興味がわいてくる。
ここのところ7、8年ぐらい、私はそんな実験ばかりしていた。
その人が選択した服や姿や外観には、その人の価値観や個性が、意識的でも無意識でも必ず自己表現されている。その風情からは、その人の生き様や人間関係やあるいは心もようや夢まで、かいま見える。
なぜ、「そういう服や髪型や姿を要求されるのか?」そういう観点で見れば、社会や教育や政治まで見える。
見ようと思えば、北朝鮮だって見えるさあ。
最近、「ファッションからだって、ほとんど何でも見える」と確信できたので、そろそろこのファッションの眼で本を1冊書きたくなり……で、冒頭の話になる。
「あなたが言うファッションって、それってファッションとは言わない!」
「これも立派なファッションなの!
あなた、『ファッションってバカだ』と思ってるでしょう。実は、私も前はそう思ってた。
でもファッションはバカじゃない。ファッションからだって人の心も、社会も政治も見ようと思えば見えるんだから。
あなどれないわよ、ファッションって」
「言いたいことはわかるけど、それって人に伝えられるかなあ?」
そして、編集者は私の力量や本のターゲットや販売力を推し量る。今、出版はもの凄く不況で冷え込んでいる。ビッグネームを持たない者の本を作るのは、出版社には大変にリスキーな賭なのだ。
そんなこんなと、「売り込み」に精出してた去年の暮れでしたけど、ところであなたは、ファッションってなんだと思います?
少なくともあなたに無縁のことじゃあない。
だってあなた、今、何か着てるでしょう?