彼女はいつも何かを作っていた。
美大のデザイン科で出会った彼女は、いつも小さいスケッチブックを持ち歩いていて、授業中でもキャンパスでも喫茶店でも、気が向くとすぐにデッサンを始めた。芝生の中の小さな花、きれいな石ころ、枯れ葉、コーヒーに入れたミルクのマーブリング模様……繊細で優しいデッサンだった。
美大のデザイン科なんて、即単位に響く来週提出の課題が一週間に七つも八つも出る、職業訓練学校みたいなところだ。
それでも遊び盛りの私たちは、夜まで画廊巡りだ映画だジャズ喫茶だとやるものだから、課題は当然夜中に徹夜でやるはめになる。
夜中に提出物作って学校で実技やるだけで、後はもう寝るか遊びほうけるだけ。勉強以外では鉛筆持つのも筆握るのもいやになる。
大方の学生がそんな風だったから、喫茶店で突然提出物でもないデッサン描き始める彼女は、確かにちょっと変わってはいた。
いつも、突然ひとりで何かに没頭してしまうきれいな女の子に、男の子たちが親しみをこめてつけたあだ名は、「お化け」。
このともだちと私は妙に馬があった。
よく、「ものを創ること」や「生きること」、あるいは「女の人が自立すること」などを、いつまでも話した。
●──作る生活
彼女は大学を出ると、幼なじみだった男の子とすぐに結婚した。
遊びに行くと、二台の織り機と糸車とズラーッと干した糸と、巻いた糸の束と幾つもの原毛の袋と、とにかく染色アトリエと化した家で新婚をやっていた。
マフラー、ショール、タピストリー、オブジェ、草木染めのきもの、帯……せっせと染めたり織ったりしては、個展やグループ展を開いた。
そして、子どもを二人持った。子どもを育てながらも相変わらず染めて、織って、展覧会をやって、展覧会へ行くたびに「売約済み」の赤いシールが多くなっていった。
それでも、私と会うと彼女はよくグチった。
「いくら、私が独りでがんばって作品作って展覧会やっても、『いいですねえ、あなたは。ダンナさんがいるから、そうやって好きなことが出来て』って、見られるのよ。いやんなっちゃう」
「そういうこと言うヤツって、必ずいるんだよ! 言わせておけばいい。
ダンナがいることと、あんたが『ものを創る』ことは、なんの関係もないこと。
あんたの作品の評価ともね!」
私は、力んで半分怒りながら言った。
私たちの「創ること」や「生きること」や「女の人が自立すること」の話は、より具体的な形となっていた。
そしてそれは、やはりいつまで話してもきりがないような、ふたりの話題だった。
そのうち彼女の展覧会には、織物のほかに木のツルや草の繊維を使った、なんとも不思議な空間を抱くバスケットが、いくつも並ぶようになった。
休日になると家族でせっせと行っている山の家の生活が、彼女のバスケットの原点のようだった。
あいつ、山に遊びに行ってる時でさえ、手を動かさずには、なんか作らずにはいられないんだよ! あいかわらずだなあ。
●──作らない生活
私の方は学校を出てから、それでも漠然ととにかく「創る仕事」をしたいと模索していたが結局スタイリストに落ち着いた。そして、スタイリストから記者、記者からライターとマスコミの中で仕事を広げていった。
ただでさえ忙しいマスコミ相手の仕事のなかで、プライベートで結婚、出産、離婚なんてのをほぼ一度きにやったものだから……その忙しさは、尋常ではなかった。
仕事と子育ての日常だけで、私の時間とエネルギーは百二十パーセント消耗している感じだった。
彼女と会うと、私がグチった。
「写真が好きで、『ものを創る仕事』だと思って入ったファッションの世界だったけど。
時間に追われて、ただただ馬車馬みたいに、目の前の仕事をこなしているだけだよ。
いつのまにか、仕事なんて『さあ、お商売!お商売!』としか考えてないもんね。
私、『ものを創る』気持ちなんて、とっくにどっかに置き忘れてしまったよ」
「それでも、仕事しながら独りで子ども育てているあなたは、主婦の私にはとてもまぶしく見えたりするよ」
彼女はそんなことを、いたわるような優しい眼で言ったりした。
●──作らずにはいられない
しかし、私も「ものを創らなくなった」とはいえ、途切れることなく続いているこのともだちのことを考えると、二人はどこか似たもの同士だったのかもしれない。
私のなかにも、どこか「ものを創る」性とか業とかいったものが、あるようだった。
昼間スタイリストや週刊誌のファッション記者をしながら、夜中になるとせっせと子どものセーターを編んだり、保育園の手提げ袋に絵を描いたり、お菓子焼いたりしていた。
セーターや袋やお菓子といっても、その突っ込みかたがちょっと半端じゃない。
袋なら、子どもの好きな絵本の一ページを忠実に描いてやる。子どもの持ち物に、名前代わりに子どもの顔をクロッキーする。セーターなら、どこにもない世界でひとつのオリジナルでなければ、絶対に気が済まない。すべて、その調子だった。
とにかく「作る」となると、イヤんなるくらい、やたらしつこい。
なかでも、自分でも「あれは、凄かった!」と思うのは、赤ん坊だった子どもを引き取って離婚するかしないか、揺れていたときに作ったタピストリーだろう。
「シロウトでも出来る簡単クラフト、織物」の記事作ったのをきっかけに、原毛から糸を作り布に織り上げるということを、始めてしまった。仕事から帰って、子どもの世話が済み、みんな寝静まった真夜中に。
東急ハンズで買ってきた原毛を、スピンドルという糸紡ぎで毛糸に紡ぎ、紡いだ糸を蒸し器で蒸して毛糸を作る。作った毛糸で、ダンボールに縦糸を張り、定規で交互に縦糸を取っただけの原始的な織り機で、布に織る。そうして作った小さな布を、パッチワークのようにつなげて大きな布にする。
ベッドカバーを作るつもりだった。
深夜や明け方に、じとーっと糸を紡いだり蒸し器を覗いたりしている私の姿は、たぶん鬼気迫るものがあったのだろう。
同居している母に、「昼間働いて疲れてるんだから、もうやめなさいよ!」といくら言われても、やめなかった。黙々と手を動かし続けた。「疲れてるから」とか、そういうモンダイじゃなかったのだ。
離婚、母子家庭、子どもをこれから独りで育てなければならない不安……離婚に踏み切るべきだ! でも不安だ! 怖い! でも踏み切るしかない! でも、でも、でも……アタマの中では嵐が吹き荒れていて、何かせずには、手を動かさずにはいられなかった。
しかしあれも、ベッドカバーの予定がタピストリーで終わったのは、タピストリーあたりで頭の中の嵐が吹っ切れたからだ。
吹っ切れたとたんに、私はもう毛糸も原毛も見向きもしなくなった。
●──作ることは生きること
今年の始めに、「いつも何か作っている」彼女が、パートナーを癌で亡くした。
彼との最後の一ヶ月を「素晴らしいハネムーンやったのよ!」という彼女が、ホスピスで彼の世話をする以外にやってたことを知るにつけ、私はたまらなく切なくなった。
彼女は、毎日毎日ハガキ大に切った画用紙の束に、せっせとデッサンをしていた。大学時代と同じように。
花、葉っぱ、くだもの、薬の袋、薬ビン、錠剤のカプセルの束。
そして、夜中になるとホスピスの庭であの葉っぱこの葉っぱと採集し、昼間に彼のかたわらで採集した葉っぱを煮たり叩いたり、繊維を取ってはバスケットを編んでいた。
「彼が、『アンタは家でも山でもホスピスでさえ、そうやって葉っぱ盗んじゃあ、何か作って……葉っぱさえあれば、どこででも生きていけるなあ』って、笑うの」
と、彼女が言った。
私には、彼女がどんな思いで手を動かしていたか、動かさずにはいられなかったか、痛いほどわかった。
彼女はどうしても、作らずにはいられなかったのだ。
そしてまた、その「素晴らしいハネムーン」が、実はどんなに「残酷なハネムーン」だったかも。
彼を亡くした後も、彼女は私に時々ハガキをくれる。
普通、人はあまりにも大きな哀しみや苦しみのなかでは、それを語れないものだ。その哀しみや苦しみを乗り越えた後で、始めて人はそれを語れるようになる。これは、インタビューアーの常識でもある。
それなのに、彼女は私にハガキを書く。
必死に心を開いて文章を書かずにいられないのは、書くこともまた作ることだからだ。そうやって書いた彼女のハガキの短い文章は、心がシーンとなるほど痛い。
「ものを創ること」はまた、生きることでもあった。
それでも、彼女の一番最近のハガキには、いつも通りの「近々、昼ご飯しよう!」という一言があった。
「よかったァー!」……私は、嬉しくなって、胸をなで下ろす。
そして、ふと「アイツ、どれぐらい葉っば取ったんだろう? 叩いたり煮たり、織ったり編んだりしたんだろう?」と、思ったりする。
「ものを創る魂」を持って生まれた彼女は、ものを創ることによってしか魂を癒せない。
そしてまた、「ものを創ること」がどんな時にでも彼女をしっかりと支え、癒し、必ず彼女を前へ前へと押しやっていく。
「近々、お昼しよう!」と、ハガキに一言書いた彼女は、またちゃーんと独りですっくりと立っているじゃないか。
●──例えば、そんな魂
「たましい」という言葉が妥当かどうか、わからない。
でも、例えば小さい子なんか見てても、ふとそんな思いにとらわれることがある。
例えば「ものを創る魂」、例えば「音楽をする魂」、例えばスポーツマンたちの「戦う魂」。
「学問する魂」や「人を癒す魂」それから「人を集める魂」なんてのもありそうだなあ……そんな風に、人はもしかしたら、その人ならではの役目や定めと共に、生まれてくるんじやないだろうか?
近ごろ、なんだかそんな気がしてならない。
「たましい」でなければ、その人間がどんな環境にいようとも、どうしてもそっちの方向に向かってしまう、どうしようもない力のようなもの。
「さが」とか「業」って言い方もあるが……これはあんまりステキではない。
人間が生まれてくるときに、神さまが一人づつ誰にでもくれる、その人だけの特別なプレゼントのようなもの。
その人を支え、守っていく、生きていくための「お守り」のようなもの。
同じような魂を持ったもの同士が、出会い「ともだち」になるための、人間の「見えない印」でもある。
例えば、「ものを創るたましい」のようなもの。