「食べること」を書こうと思って考えていたら、突然そう言えば私は子育て中、基本的に弁当と夜食以外は子どもに「ご飯を作ってやらない母親」だったことを、思い出した。
私は常々、「子どもは社会が育てるものだ」と思っていたし、母親独りの手で育つよりも、なるべく様々な人たちの手にかかって育ったほうが、子どもにとってはずっと幸せな育ち方だろうと、考えてはいた。
それでも、「母親」だの「母性」だのという幻想は、ましてや「子どものご飯作ってやらない母親」というのは……けっこう、私の引け目でありコンプレックスでもあったのだ。
だって、子どもが真っ直ぐ育つことと、「一家団欒の食卓」や「母親の手作りのご飯」は、必ずセットで言われたりするじゃない。
それでも、母親がご飯作らなくても私の子どもはかなり理想的な食べる環境で育った。
「子どもの食べること」を考えると、「母親」とか「家庭」とかにまつわる、身に染みついた思いこみや幻想、あるいは洗脳された「役割」を思わずにはいられない。
●──「保育園という大きな家族」
私は、母子家庭でいろいろと忙しかったので、とにかく一刻も早く子どもに丈夫で大きくなって自立して欲しかった。それに子どもに病気されると、仕事を寄せたり開けたりの隙間を塗って病院通いだ看病だと、ホントに大変なんだもの。
そして、そのフニャフニャした細っこい赤ん坊を少しでも早く大きくしっかりさせるためには、「身体を作るには食べ物だ!」という実にシンプルな結論に達した。
で、ヘンゼルとグレーテルの魔法使いの婆さんみたいに、「子どもを早く大きくする為に」いろいろと本も読み、人に聞き、考え、様々な策略を練った。
まず、家族の食事の作り手であった私の母の台所から、添加物と農薬を追い出した。世代も違う、キャリア40年の主婦の台所に「手は出さないけど、口だけは出す」というのはなかなかの大仕事だったが、生協などというテも使って根気よく追い出した。
それから、基本的に人工甘味料の強い飲み物とスナック菓子は禁止。
後は、いわゆる「食の細い子ども」だったので、いかに「楽しく食べさせるか」ということは、ずいぶんいろいろ工夫した。だって、「小さい子って、楽しいと楽しくないでは食べ方も食べる量も全然違う!」というのが、子育ての中で発見した驚きだったから。
私が休みの日には、天気が良ければ庭やテラスで食べさせたり、近所の子ども達といっしょに食べさせたり、お弁当作って公園や海へ行ったりした。
後は保育園と母まかせ、しかしゼロ才から通っていた保育園というのは、今考えても子どもが食べることに関しては、これ以上無いほどの理想的な環境だった。
毎週、栄養士さんの考えた1週間分の昼食とおやつがプリントされるが、それが例えばアジの南蛮漬けに菜の花ごはんにぎせい豆腐とか、おやつはにんじんケーキとミルクとか……子どもの身体を考えながらも絶対に子どもに媚びもしない、「たかが昼ご飯に、家庭じゃあ絶対ここまで手はかけられない」といった献立だった。
で、そんな眼の行き届いた献立以上に素晴らしかったのは、「お友達とワイワイ言いながら食べる」という、小さい子どもにとってはなにより楽しい「食環境」が、確かにあったのだ。それは子どもの言葉でわかった。
私も何度か「お母さんも一緒にどう?」と、保育園の給食に呼ばれたが、保母さんたちが食事中はあまり子どもを叱らないことに、いつも感心したものだ。
ある時、また「お呼ばれ」して子どもたちと給食食べてる時、よっちゃんがいないのに気がついた。「先生、よっちゃんはどうしたの? 朝はいたじゃない?」と聞くと、先生が笑いながら「また、よっちゃんの穴なのよ!」と言って物置のすみっこを指さした。
物置のすみっこに、よっちゃんが機嫌が悪くなると入り込む「よっちゃんの穴」があり、そこで彼は壁に向かって黙々と独りで給食を食べていた。
私は、「よっちゃんの穴」にそっと給食を運んでやる保母さん達の目線には、ちょっと感動したなあ。
子どもについガミガミと口うるさく言いがちな私は、「よっちゃんの穴」以外にも、保母さん達から教えられることはずいぷん多かった。
朝になると、「早く! 早く行こう!」とせかされる保育園というのは、幼い子どもにとっては「大きな楽しい家族」だったし、そこには確実に「楽しい食」があった。
しかし、昼間は保育園で「理想的な食」をやり、夜はお祖父ちゃんお祖母ちゃんと母の「手作りの食」をやってた子どもなのだが、ひとつだけ小さい子にしてはかなりモンダイな悪癖があった。
11時半とか12時とか下手すると1時頃とか、夜中のとんでもない時間に「お夜食」を食べるのだ。
もちろん、作ってやったのは私。
この悪癖を、私はどんなに人から注意されたかわからない。私自身、けっこう悩んだ時期もあった。
しかし夜遅く帰ってくる母親を待って、おしゃべりしながらいっしょにお風呂に入り(2度目のお風呂)、好きな「お夜食」を作ってもらって食べて、それから絵本を数冊読んでもらって寝るというのが……子どもの、日常の生活スタイルになってしまっていたのだ。
「ママ、今日のお粥はチーズとトマト味にしてね」などと喜々として私の手元をのぞき込み、いとも満足げに私の作った夜食を残さずきれいに食べる子ども(普段はこの「残さず食べる」ということが、なかなか出来ない子どもだった)を見ていると、どんなに真夜中の夜食が小さい子どもに良くない習慣だろうと……私は、どうしてもやめることが出来なかった。
真夜中のお夜食はおそらく小学校の2年生ぐらいまで続いたように思う。おもしろいことに「寝る前に絵本を読んでもらう」のを卒業するころ、お夜食も卒業した。
今考えると、幼い子どもに深夜に夜食を食べさせることが良いか悪いか(悪いに決まってるか!)はともかく、あれはああいう生活環境の中で育つ幼い子どもにとって、どうしても必要な「食」だったのだろうと思う。
●──「弁当と子どもの成長」
子どもが小学校に入ると昼ご飯は給食、おやつは学童クラブになったが、学校給食に関しては「三角食べ」だの「残さず食べる」だの……保育園の「大きな家族」のようには、とてもいかなかったようだ。
「今日は給食なに食べた?」そんな会話だけで、子どもがその日「楽しいご飯」を食べられたか食べられなかったかぐらいは、親にはすぐにわかるものだ。
学校を変わった3年生からはお昼は弁当。これが高校3年まで続く。
弁当は私が作った。
不規則な仕事を夜遅くまで引っ張る私の生活で、朝6時半に起きるのはキツかったが、もともと「ものを作ること」が好きな私は、けっこう弁当作りを楽しんだ。
豚肉をちまちまと巻いたロールカツ、わかめときゅうりと春雨の中華サラダ、ししゃものフライ……魚を食べさせよう、野菜と海藻も入れよう、胡麻も使いたいし……そうでなくても普段から「子どもの食を人任せにしている」という負い目の強い私には、弁当づくりはかっこうの母親としての自尊心を満たす仕事でもあった。
それでも子どもが小さいうちは、子どものお昼の弁当ワールドもなかなか楽しい世界のようだった。
「昨日はトンカツを1個Sにあげたんだ」
「えっ? Sは隣の組じゃないの? あんた隣の組でお弁当食べたの?」
「ちゃんと自分の組で食べたよ」
「じゃあ、どうやってトンカツSにあげたわけ?」
「お箸で挟んで、持ってたんだよ」
お箸にトンカツ挟んで隣の組まで歩いていく子どもの発想には絶句したが、とにかく「楽しいご飯」をやってるらしいことには安心したものだ。
「M子の弁当は、いつもフルーツだけなんだよ」と聞いて、「小学生がダイエットをする時代か!」と、ため息が出たこともある。
「Yちゃんは、このごろいっつも『買いパン』なんだよ」と聞いて、最近離婚したYの父さんの苦労を思ったこともある。
子どもが低学年の時は、弁当はかっこうの親子のコミュニケーションの材料であり、食べ具合で健康のチェックができ(これは、母の役目だった)、学校での子どもの社会や様子がわかる……親にとってもなかなか便利な「楽しいご飯」だった。
しかし私は、10年子どもの弁当作ってしみじみと思ったことがある。
世の中では早起きして子どもの弁当作るというと、いかにも「いい母親!」ふうに思われるけど、弁当づくりなんて基本的には母親自身が自己満足の為にやることだと、肝に銘じておくべきね。
子どもは成長し、家庭や家族の形は変わる。
弁当だって、母親だって、引き際がある。
私も子どもが中学2年くらいになったとき、息子から「もう弁当に色々入れないでよ!」ときっぱり言われて、ハッとしたことがある。
その言葉は、私のなかの「大きな子どもに、まだズルズルとまつわりつきたい母親の気持ち」に、強烈な一撃を食らわせた。
それからは、牛肉の佃煮に卵焼きにキャベツの塩もみというのが息子の定番弁当になり、そのうちそれも自分で作ったりするようになった。
あの頃、私は懸命に「ああいけない、いけない! 大きくなった子どもから離れなければ!」と、いつも自分に必死に言い聞かせていたように思う。そしてあの頃から、私の子育ては「子離れ」の段階に入っていった。
それは母親にとっては、子育てのなかでも一番寂しい、一番難しい段階だったと思う。
●──「子どもの食にまつわる幻想」
しかし、「子どもの食」のなかには、またなんと一見暖かそうな口当たりのいい「家庭」や「家族」や「母親」といった、本当はけっこう「アブナイ幻想」が多いことだろう。
母親が手作りさえすれば(カップ麺だって、手作りだ)、子どもは幸せか?
家族全員で食卓を囲みさえすれば(ご飯の間中、ガミガミねちねち叱られても?)、子どもは幸せか?
早起きして弁当作れば、それが母親の愛情か?
そして、「家族」や「家庭」ってなぜかどーんと普遍のもののような思いこみがあるが、ほんとに「家族」や「家庭」ぐらい形が変わっていくものも、またないのだ。
同じように、「母親」とか「母性愛」といった幻想にも、私自身も妙に足を取られたりコンプレックスを持ったりもしたが、「母性愛に名を借りた、母親自身のエゴのほうがよっぽど恐いわ!」という結論に、私は身をもって達してしまった。
そして私自身は、今になってみると「家庭」とか「母親」なんてものは、なんて一過性のものだったんだろう……という気がしてならない。
そして、やはり「子どもの食」の結論は「楽しいご飯」に尽きるし、子どもが「楽しいご飯」をいっぱい食べる為には、いろんな形や方法が本当はたくさんある……ということを、子どもを育ち終えた今になっても、やっぱり確信したりしてる。