私は長いことファッションの仕事をしてきたが、「着る」というような生活に密着したことは、全てが自分自身や自分の仕事から見えてくるとは限らない。
子どもを通して、「子どもの衣」の中から見えてきたことは、私のそれまでのファッション観をまったくくつがえすようなことだった。
●──もう、赤やピンクは着ない!
保育園で朝から晩までひたすら遊び暮らしていた子どもが六才になり、地元の公立の小学校に上がった。
クリスマス会には、女の子も男の子も全員が頭に包装紙のおリボンを付けてお歌を歌っているような保育園で、ジェンダー的にはほぼ無菌状態といえる環境だった。
無菌状態で育った子どもは、案の定「ボク、ランドセルは真っ赤のを買ってね」と、せがんだ。うーん、どう考えてもたった一人で六年間赤いランドセルを背負い続ける根性を持った男の子には、とうていみえぬ。ランドセルは高価だ。で、「赤もいいけど、この紺も凄くステキ。これ、赤よりもっと似合うみたい」と丸め込んで、紺色にした。
小学校から始めて帰った日、「ねえママ、なんで男の子はみんな黒いカバンで女の子はみんな赤いカバンなんだろう?」と、不思議そうに報告したのもつかのま、子どもは今度は猛烈な勢いで自分の身の回りから「女の子色」や「女の形」を放り出していった。
赤もピンクもオレンジも、サンダルもセーラーカラーも放り出し、文房具も手提げも男の子色と男の子キャラに変わってしまった。
いよいよ「男と女」が始まったのだ。
それは、まるで無菌状態のシャーレの中にジェンダー菌が異常繁殖したような、ものすごい勢いの「男らしさ」「女らしさ」へのこだわり方であった。
初めのうちこそ、それまでの服を着ないのを叱り、「色で男だ女だ言うのはおかしいよ!」「食べるものと着るものには、文句は言わない約束だろ!」と、毎朝ケンカをしていたが、じきに私のほうが折れた。
わかっていた。よーくわかってはいたのだ。真っ赤な長靴に真っ赤な幼稚園カバンをバッテン掛けにして、得意げに胸を張って通園する男の子の姿も……これもまた、理由がどうあれジェンダーがどうだろうが、単なる親の趣味に過ぎないということは。
子どもは、親を離れ始めたのだ。
とにかく、6才なりに親を離れて自分の社会を生き始めた子どもの世界に、これ以上親があれこれ口をはさむべきでないことは確かだった。例え、着るもののことであろうと。
毎朝「着るもののケンカ」を繰り返した後、「わかった。もう赤もピンクも着なくていい。あなたの好きなものだけ着ればいい。でも、赤やピンクを嫌いにならないでね」という私の申し出に、「うん、それならいいよ」と満足げにうなずいて、ケンカの日々は終わった。
そして、子どもは嬉々としてどっぷり男の子色とアニメキャラの世界に入っていった。
しかし「着るもののケンカ」は、私が御法度になった赤やピンクをやめて青や緑のシャツを買うだけでは収まらなかった。
いつのまにか「学校のきまり」が、子どもの衣の中に忍び込み始めていたのだ。これは親にも子どもにも、赤やピンク以上のなかなかしんどいケンカになった。
●──不思議な「きまり」
初めは、雨が降っているからレインコートを着せようとした私に、「レインコートは雨で廊下が濡れるからイケナイんだもん」だったかもしれない。あるいは「長靴は靴箱からはみ出すからイケナイんだもん」、「体操のある日はボタンの付いたシャツ着ちゃイケナイんだもん。着替えるのが遅くなるからイケナイんだもん」だったかもしれない……なんだか妙なことを言っては、「イケナイんだもん!」をかたくなに繰り返す。最後は「だって、きまりだもん!」と半泣きで抵抗する。
「きまり」って? 雨の日にレインコートや長靴を履かないきまりって? 体育のある日はボタンのシャツを着てはいけないきまりって?……なんとも不思議な「きまり」に私は半信半疑だったが、泣いて抵抗する子どものただならぬ気配は、嘘を言っているようにも見えない。私にはわけが分からなかった。
しかし、不思議なきまりは他にもいろいろとあるらしかった。「ごはん、おかず、飲み物と三角にたべる」という給食の三角食べのきまり。廊下は右側通行というきまり。忘れ物に気が付いても絶対にとりに帰ってはいけないきまり。水泳で着替える時には、身体を隠すスカート状のバスタオルを被るきまり。
不思議なきまりのあれこれに、「こんな妙なことを、いったい教師達はどう思っているんだろう?」、一度きちんと学校や教師の意見を聞こうと思ってはいたが、親と教師のコミュニケーションの場がとにかくない。
子どもを追いつめてはいけないと思いながらも、ブスブスとくすぶり続ける「きまり」をめぐる私と子どもの「着るもののケンカ」は、じきに爆発した。とどめは「名札」だった。
●──名札はなんのために?
小学校一年坊主のちっちゃい体操着にも水泳着にも水泳帽にも、大判の結婚式の招待状ぐらいの名札をつけろというプリントを子どもが持ち帰った時……私は、目が点になった。
何のためにこんなデッカイ名札を?
これじゃまるで、刑務所の囚人か収容所の捕虜じゃないか。
あまりに、みっともないじゃないか! いくら小さい子の体操着や水着だからって、洋服を冒涜してる! 洋服も、子どもも冒涜してる!
これが、子どもが持ち物を人のものと識別する為のものでないことはすぐにわかった。
誰に都合のいいことなんだか知らないが、人間を名札で識別するってずいぶん人を軽んじた、バカにした話じゃないか。
長いことファッションを仕事にしてきた私には、この「衣」に対する感覚だけはとうてい承伏しかねるたぐいのものだった。
ファッション屋としてではなく一人の母親としても、思わず「オンドリャァ、わしの可愛い子に、なにさらすんじゃ!」とドスのひとつも突き立ててワメキたくなるような、そんな生理的な嫌悪感を伴うものでもあった。今考えると、この母親としての嫌悪感は、案外すじの通ったものだったのかもしれないと思ったりもする。
とにかくこの「お達し」、どうしよう?
「イヤです。私の子どもにはそれはさせたくない」というのは、どこへ言えばいいんだろう。担任か? 学校全体でやってるなら校長か? 方法は電話か手紙か個人面談か?
それにしても、こうも一方的に無邪気にプリントなどで親に要求してくるところをみると、教師達はこのでっかい名札になんの疑問も持ってはいないんだろうか?
私は、ライターとしてインタビューの仕事もかなりしていたので、行き過ぎた管理教育の周辺は決して知らないではなかった。
しかし、いざ自分が忙しい日々の中でいきなり子どものプリントなどというさり気ない形で、胸元三寸に「名札」を突きつけられると……いやあ、ホントにどうしよう。
ぐずぐずと考えているうちにも、子どもは毎日「早く名札付けて」と催促する。私はのらくらと「あんな大きな名札はいらないの。私は名札は付けないの」とシカトする。
結局、見かねた担任の先生が付けてくれたのだが、子どもはこの一件にはそうとう困ったようだ。これ以来「ママが何か書くと困るから」と、先生に絶対に連絡帳を渡さなくなったし、このころの子どもの絵や工作には全部服に名札が付いていた。カワイソウに。
それでも、私にはどうしてもデッカイ名札が付けられなかった。
子どもが学校と親の間でどんなに揺れようと困ろうと、これは私には絶対に譲れない「衣」の感覚だった。それまで私が、それを武器に世の中を張ってきた、「ファッションの感覚」でもあった……そうなのだ、これもまたファッションだったのだ。
私はファッションというものの、とんでもないもう一つの側面を見たような気がした。
●──もう、学校を変わろう!
それからも、不思議な学校のきまりは日ごとに増え、子どもは学校と私の間をたくみに泳ぎ分けるようになった……これも成長か。
それにしても、忘れ物シール、ハモニカから縄跳びから水泳の級まで検定と判こ。それも、先生の「まちがえました」の判こに、親が「ご注意承りました、家でもっとやらせます」と確認するという二重の懲罰のシステムの判こ……本当に不愉快だった。
小学校一年生という幼い子どもをなんの目的か、必要以上に劣等感を刺激しては追い込み、猛烈な競争原理で煽り立てる。
そんな教師のやり方から子どもを守るには、たまに行くPTAで教師に発言するか(これはまったくの逆効果だったのだが)、シールが黒だろうが金だろうが「えらい、えらい」と子どもを誉めまくり、子どものいいなりにめくら判をポンポン押すぐらいしか……親にはしてやれなかった。
私には教師が一方的に作るたくさんの「きまり」は、子どもに「ものを考えさせない」ためのように思えてならなかった。
そして冬休みに入った時、先生に年賀状を書くという宿題が出た。「一年生らしい可愛い宿題だナ」と、子どもが書いた年賀状を手にとって私は凍り付いた。そこにはたどたどしい字で「先生へ、ボクはお勉強が出来ない子どもで、ごめんなさい」と書いてあったのだ。
私は、怒りで背中が震えた。
たかが小学校の一年生の子どもに、誰がこんな根拠のない劣等感を植え付けたのだ!
私は小学校に多くを望んだわけじゃない。フツーの成長と、健康と、友達との生活があれば充分だった。成績を上げてくれとも、躾をして欲しいとも言わなかったじゃないか。
それなのに、キラキラした好奇心も前向きの気持ちも叩きつぶすようなことばかりして、挙げ句の果てによりによってこんなつまらない劣等感を植え付けるなんて……六才の子どもに、よくもこんなひどいことを!
この時私は、「なにがなんでも子どもの小学校を変えよう」と決心した。
●──管理は衣から始まった
「女らしさ」や「男らしさ」へのこだわりから始まった「子どもの衣」のモンダイは、いつのまにかジェンダーを飛び越えて「考えることを放棄する」とか「服従する」といった、「管理」の恐ろしい側面を見せ始めた。
それは、やっぱりもっとも身近な「衣」から始まった。
ことはジェンダーなんて生やさしい問題ではない。これは「強いるのも、強いられるのも」、私が子どもにとうてい馴染んでほしくない、そういうある種の「衣」の感覚だった。
これが、「衣」の全てに言えることだとは、私も決して思わない。例えば制服といわれるものの全てがそうだとも、決して思わない。
しかし、人が人にある種の服や髪型や印を強制する時……こういうものの中には、向けられたら可能な限り拒否しなければいけないものがある。易々と甘んじてはいけないものがある……そういう「衣」があるんだということを、私は始めて知った。
それにしても「衣」には、なんとやすやすと政治や社会が滑り込んでくるものだろう。
名札や制服や坊主頭は、なんて簡単に正座や竹刀になり、挙げ句の果てには「右向け、右!」になってしまうことだろう。
「衣」ってまた、なんてあやういものなんだろう。
「ファッションって恐い」と、私は初めて思った。